デジタル機器とインターネットは生活必須アイテム?!
スマートフォンってとても便利です。特に地図の正確さ、工事中の道にも対応していてカーナビよりも優れているので助かります。それもこの20年程の変化であったと振り返ります。
私が子供のころに、PHSが出てきて、母が持っているのを羨ましく思い、眺めていたのを鮮明に覚えています。その後ガラケーが現れてから、SNSというものが流行り始め、実際の友人以外との交流が可能になった時代でした。まだ当時はGPS機能が不十分だったために、方向音痴な私が悪いのですが、ガラケーのナビを使っても目的地にたどり着くことはありませんでした。
(ちなみにポケベルは使ったことがないですが、母の思い出の品として触れたことがありますよ。番号で言葉を作るなんて素敵だなあと思いました。)
今ではスマートフォン、SNSもマストアイテムになりました。
様々な企業や個人事業者もSNSを利用していて、交流に加えてビジネスの場にもなっています。どこかのお店へご飯を食べに行くとき、お店の公式SNSから営業しているか、メニュー確認をするほどです。
さて、これほど便利になったことはとてもありがたいのですが、時々「情報過多」に感じるのは気のせいでしょうか?
親指を動かせば、知りたい情報だけでなく求めていない情報まで手に入ります。そして誰でも気軽に情報発信ができるので、その根拠はどこから来ているのかを確かめる術が必要になります。
そんな疑問を感じながらも、それらから離れる生活は想像がつかず、どっぷりと浸かる生活を続けてきました。
宮古島でデジタルデトックス
6月末、シーズン前の格安時期に宮古島へ3泊してきたときの話です。
シーズン前とはいえ現地はすでに夏。
30℃半ばの高気温、5分歩くと日傘なしでは皮膚がじりじりと痛みを感じるほどの陽ざし。
観光地なので様々お店があり、公式SNSもあるのですが、困ったことに電波が弱いので、なかなか内容がダウンロードされない状態です。
諦めて、Google MAPで開店と表示されている現地の食堂を巡ることにしました。
しかし困ったことに…お店に行くと休店日のプラカードがぶらぶらと下がっています。
(離島あるある 事前に電話で営業確認は必須!)
正直に不便だと感じました。
車で2~3軒回ってようやくご飯を食べられるということがあり、初日で理解しました。
“スマートフォンは満足にネットに繋がらない。宿泊先のテレビも繋がらないときた。
現地の食堂は臨時でお休みするのが通常モードらしい…”
とことんデジタル機器から離れる暮らしをしてみようと受け入れました。
すると少しずつ、眺めるものが液晶画面から青く輝く海と、ドームのように大地を覆う空へ変わっていきました。夜のニュースを見る代わりに、宮古島の星空を見るようになりました。
次第に大らかな気持ちが芽生えていきました。
すぐ手に入らないとしても、生きていける、必要なものは既に与えられている。
”もっともっと”と求めることよりも、今すでに在るものを知ろう。
-ヨガ哲学「サント-シャ 足るを知る」より-
デジタルデトックスは感覚を研ぎ澄ましてくれる
思春期の頃からスマートフォンやSNSといった便利なツールに囲まれて育ったからこそ
便利さは時に人の感覚を鈍らせ、情報処理(思考)の日々を私たちに与えていることを実感しました。
離島という環境においてはデジタルがやや不便であったからこそ
私は便利さから手を放し
今、目の前に存在する海 空 星 風 太陽 を心と体で感じることに集中しました。
それはこの間のブログでも書いたように「思考」を手放し「感覚」を手に入れるということを実践した形となりました。
デジタルから離れて「生きている環境」を感じる
この20数年でインターネット、デジタル機器は私たちの生活を便利にしてくれました。
しかし私たちが生きているのは、インターネットやデジタル機器が見せてくれる環境ではありません。
関東に帰ってきてから、
朝や夕方の涼しい時間帯に30分だけでも、スマートフォンやPCから目を離して、近くの自然がある公園等をお散歩しています。
風で木々がこすれあう音、鳥ののびやかな声
心地いい風の温度、優しく降り注ぐ木漏れ日…
私たちが生きている環境を感じる時間 作ってみませんか?