9月14日(水)20時からオンラインヨガ教室開催!
いつもブログを見てくださってありがとうございます!ウェルビーイングサロンで開催するオンラインヨガ教室の日程のお知らせです。
時間は20時から21時までを予定しております。前後でお話をする時間を作りながら和気藹々と行っています。見られたくないという方は画面をオフにして参加していただいても大丈夫です。
夜なかなか眠れない方、体が疲れている方、ストレスや不安が溜まっていると感じる方にもおすすめです。ぜひお気軽にご参加ください。
いつもブログを見てくださってありがとうございます!ウェルビーイングサロンで開催するオンラインヨガ教室の日程のお知らせです。
時間は20時から21時までを予定しております。前後でお話をする時間を作りながら和気藹々と行っています。見られたくないという方は画面をオフにして参加していただいても大丈夫です。
夜なかなか眠れない方、体が疲れている方、ストレスや不安が溜まっていると感じる方にもおすすめです。ぜひお気軽にご参加ください。
スマートフォンってとても便利です。特に地図の正確さ、工事中の道にも対応していてカーナビよりも優れているので助かります。それもこの20年程の変化であったと振り返ります。
私が子供のころに、PHSが出てきて、母が持っているのを羨ましく思い、眺めていたのを鮮明に覚えています。その後ガラケーが現れてから、SNSというものが流行り始め、実際の友人以外との交流が可能になった時代でした。まだ当時はGPS機能が不十分だったために、方向音痴な私が悪いのですが、ガラケーのナビを使っても目的地にたどり着くことはありませんでした。
(ちなみにポケベルは使ったことがないですが、母の思い出の品として触れたことがありますよ。番号で言葉を作るなんて素敵だなあと思いました。)
今ではスマートフォン、SNSもマストアイテムになりました。
様々な企業や個人事業者もSNSを利用していて、交流に加えてビジネスの場にもなっています。どこかのお店へご飯を食べに行くとき、お店の公式SNSから営業しているか、メニュー確認をするほどです。
さて、これほど便利になったことはとてもありがたいのですが、時々「情報過多」に感じるのは気のせいでしょうか?
親指を動かせば、知りたい情報だけでなく求めていない情報まで手に入ります。そして誰でも気軽に情報発信ができるので、その根拠はどこから来ているのかを確かめる術が必要になります。
そんな疑問を感じながらも、それらから離れる生活は想像がつかず、どっぷりと浸かる生活を続けてきました。
6月末、シーズン前の格安時期に宮古島へ3泊してきたときの話です。
シーズン前とはいえ現地はすでに夏。
30℃半ばの高気温、5分歩くと日傘なしでは皮膚がじりじりと痛みを感じるほどの陽ざし。
観光地なので様々お店があり、公式SNSもあるのですが、困ったことに電波が弱いので、なかなか内容がダウンロードされない状態です。
諦めて、Google MAPで開店と表示されている現地の食堂を巡ることにしました。
しかし困ったことに…お店に行くと休店日のプラカードがぶらぶらと下がっています。
(離島あるある 事前に電話で営業確認は必須!)
正直に不便だと感じました。
車で2~3軒回ってようやくご飯を食べられるということがあり、初日で理解しました。
“スマートフォンは満足にネットに繋がらない。宿泊先のテレビも繋がらないときた。
現地の食堂は臨時でお休みするのが通常モードらしい…”
とことんデジタル機器から離れる暮らしをしてみようと受け入れました。
すると少しずつ、眺めるものが液晶画面から青く輝く海と、ドームのように大地を覆う空へ変わっていきました。夜のニュースを見る代わりに、宮古島の星空を見るようになりました。
次第に大らかな気持ちが芽生えていきました。
すぐ手に入らないとしても、生きていける、必要なものは既に与えられている。
”もっともっと”と求めることよりも、今すでに在るものを知ろう。
-ヨガ哲学「サント-シャ 足るを知る」より-
思春期の頃からスマートフォンやSNSといった便利なツールに囲まれて育ったからこそ
便利さは時に人の感覚を鈍らせ、情報処理(思考)の日々を私たちに与えていることを実感しました。
離島という環境においてはデジタルがやや不便であったからこそ
私は便利さから手を放し
今、目の前に存在する海 空 星 風 太陽 を心と体で感じることに集中しました。
それはこの間のブログでも書いたように「思考」を手放し「感覚」を手に入れるということを実践した形となりました。
この20数年でインターネット、デジタル機器は私たちの生活を便利にしてくれました。
しかし私たちが生きているのは、インターネットやデジタル機器が見せてくれる環境ではありません。
関東に帰ってきてから、
朝や夕方の涼しい時間帯に30分だけでも、スマートフォンやPCから目を離して、近くの自然がある公園等をお散歩しています。
風で木々がこすれあう音、鳥ののびやかな声
心地いい風の温度、優しく降り注ぐ木漏れ日…
私たちが生きている環境を感じる時間 作ってみませんか?
今、考えごとや悩みがつきず、疲れているあなたにぜひ読んでほしい。
どうしたら生きやすくなるのか。
ずっと探し求めているなら、その答えはすでに自分が知っているということを。
「考えや感情は動き続けるもの それは空に浮かぶ雲 雲は風に流される
雲は形を変え 雨を降らし 陽の光を届けるように 色も変えるが
空自体は変わらず存在する その姿を見たことはあるだろうか
どんな考えの後ろにも あなたは変わらず存在する その姿を見ることができれば
雲の模様を面白く眺めることができる」 -ヨガスートラ第1章より一部抜粋
あなたの悩みはなんでしょうか。
人間関係、金銭、残業、生き方、あるいは毎日の食事レシピを考えること…
様々あると思います。
では悩みを生み出しているものは何だと思いますか?
悩みのきっかけはいつも外からやってきます。あなたに向かって風が吹くように。
そのきっかけに対して、あなたはどうしたら前に向かって歩けるか考えますね。
その考えこそが、悩みを生み出しています。
外からのきっかけ(刺激)に対処しながら生きている私たちにとって、
悩みを生み出すもの=きっかけと混同しがち。悩みを生み出すもの=考えなのです。
そしてさらに厄介なのは、考え=自分のアイデンティティであると思い込んでしまうこと。
そうすると何が起きると思いますか?
悩みを生み出すもの=考え=自分のアイデンティティ という方式
悩みに振り回される「自分」の出来上がりです。
考えというのは、職場、家庭、友人…あらゆる関係性や場面の中で常にやりとりされるものなので、生活に大きな影響を与えるものですよね。
考え=自分のアイデンティティ そのままでいると、自分も振り回され、当然周囲も振り回されることになるのです。
ところが、考えというのはあなた自身ではありません。
冒頭の言葉を思い出してみてください。
“考えや感情は動き続けるもの それは空に浮かぶ雲 雲は風に流される
雲は形を変え 雨を降らし 陽の光を届けるように 色も変える…”
風という刺激を受けるその都度、リアクションとして生まれる考えや感情は、常に変化します。生きるために、形を変えるのです。
そして雲は空の場所を変えたりしますか?雲に引っ張られて、空がどこかへ行ってしまうことはまだ観測されていませんね。(笑)くだらない冗談です(笑)
そう、あなたは常に変わらず同じ場所に居ます。
“空自体は変わらず存在する その姿を見たことはあるだろうか
どんな考えの後ろにも あなたは変わらず存在する“
考えに意識が向きすぎて、自分を見失っているだけです。
悩みを生み出すもの=考え これに意識が向きすぎているとき、私は雲か?空か?と問うてみてください。
“あなたは変わらず存在する その姿を見ることができれば
雲の模様を面白く眺めることができる“
あなたが考えと自分を区別することができたとき、あなたは確かに自分の視点で
その考えを穏やかに眺めることができます。
次第に落ち着きを取り戻し、悩みは、解決できる課題へと姿を変えていくのです。
①悩みのきっかけに対処するために考えや感情は常に変化する
②悩みを生み出す考えと自分は別の存在
③考えに意識が向きすぎると自分を見失う
④自分を見つける方法「自分は雲に引っ張られることのない空である」という意識
⑤自分の視点で、考えを穏やかに眺めると悩みの「解決策」が見えてくる
ヨガというものがあなたの人生を照らしてくれるものでありますように
読んでくださってありがとうございます。
神奈川県在住 あきたまなかです。ヨガを通して、ご自身の心と体を大切にする時間の作り方を伝えています。以前は千葉県や神奈川県内の病院・クリニックにて、主に人工透析センターで働いていました。好きな言葉 :継続は力なり/我以外 皆師なり 心がけていることは何もしない日を作ることです。
弁護士の父と専業主婦の母の間に、長女として生まれました。父も母も言葉の使い方に厳しく育ててくれたおかげで、言葉を大切に扱うことのできる人になったかなと実感をすることがあります。また年の離れた兄がよく世話をしてくれていたこともあり、兄妹仲はとても良いです。幼い頃からバイオリンやピアノを習い、週末には家族でオーケストラを聴きに行ったり、絵画を鑑賞したり、自身も教室のコンサートで演奏をする等、音楽や芸術がある環境で育ちました。ミュージカルも大好きで、劇団四季に憧れ、子供の頃の夢はミュージカル女優でした。
音楽や芸術に触れて育ったからか、理論よりも感覚や直感が優位に働き、重要な選択においても考えた末に「こっち選んだほうがよさそう」と決めることが多いです。
競争や団体行動が苦手で、テニス部のゆうれい部員から、間もなく帰宅部になりました。
ひとりの時間を充実させることが得意で、自由を好み、思い立ったら即行動で思いのままに出かけることもしばしばあります。
ヨガを伝えるときに大切にしていることがあります。
内観力という聞きなれない言葉を、分解してみると「内側」「観察」「力」そう、ご自身の内側を観察する力を養うことを大切に伝えています。
日々の仕事や家庭での役割、人間関係における自分の立場、常に意識は外に向かっていませんか?そしてその役割、立場に沿って判断・選択・行動しています。社会生活を送る上で必要なことではあるけれど、いつしか自分自身が置き去りになってしまい、気がつかないうちに「疲労・ストレス」にもなるのです。
ヨガは自分の心や感情の変化、自分はどうしたいのかに意識を向けていく時間をもたらしてくれます。特に「正しさや完璧主義、出来事、考え事、感情に振り回される、ため息をよくつく、気疲れや体の怠さを感じる方」にとっては、自分の軸を整えるノウハウを身に着けることができるので、ぜひ一緒にヨガの時間を持ちましょう。
私が看護師になったのは、父のがん闘病がきっかけです。闘病の末、10年以上前に父はこの世を後にしました。私自身、様々な葛藤や家族の困難を乗り越える中で、病と共に生きる人を支える人になりたいと看護師の道を歩き始めました。
〈看護師経験で印象に残っていること・実感したこと〉
・患者様から「健康を失ってから健康の価値を知った」と言われたこと
・患者様の話を聴いて、その人らしさを実現できるよう周囲と連携することにやりがいを感じてきた
・予防医療の大切さを知る
・医療現場は病気になってから関わる場所であるということ
このように病と共に生きる人に寄り添う中で、次第に人が健康に生きるために自分は何ができるかを考えるようになったのです。自分自身も健康を失う体験が重なったこともあり、
自分の命を何のために使うかを考え、病院の外に出ました。
病院というのは病気を治す役割がありますよね。そのため、体が健康になるための治療が優先され、療養生活において患者様の意思を尊重し難い場面というのはどうしても存在します。年齢を問わず、気が滅入ってしまう方もいらっしゃいます。
また病院に行くほどではないけど、体の不調を抱えている方や、深刻な悩みを持って生活している方もいます。見た目には健康であっても、その状況が悪化すると「病気になる」わけです。そういった方へのサポートをさせていただくことで、皆さんの心身の健幸が守られ、病気になることを「予防」していきたいです。